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日本的なものをめぐって、建築界の議論では、縄文と弥生のキーワードで代表されるように、二つの系譜が反復しています。
ヨーロッパであれば、おそらく古典主義かゴシックかといった構図でしょうが、日本の場合、縄文と弥生を軸に整理して考えると、わかりやすいと思います。
一九五〇年代に建築雑誌『新建築』の編集者だった川添登(一九二六〜)が、うまくジャーナリズムを焚きつけて、伝統的な表現と現代建築をいかに接続させるかという問題を提示しました。
丹下健三が、《香川塵庁舎》(一九五八)の軒下において、古建築の木割を梁的坪のデザインにとり入れた時代です。
線が細い、洗練された弥生的なものです。
一方、白井成一(一九〇五〜八三)も、けっして有名ではない古建築である《江川氏旧韮山館》を挙げて、一九五六年に「縄文的なるもの」という論文を発表しています。
一般的な理解としては、弥生的なものはあっさりしているのにたいし、縄文的なものはごつごつしている、力強い造形だと説明ができると思います。
磯崎新二九三一〜)は、この二項対立をギリシア古典におけるアポロ的とディオニリス的になぞらえています。
ただ伝統を二つに分けるという話は、ここで初めて出てきたわけではない。
もちろん戦前にもあって、有名なのはドイツの建築家、ブルーノ・タウトの議論です。
タウトは、一九三〇年代に来日して、そこで将軍的なものの系譜と天皇家の系譜というふうに、日本の文化を二つにばっさりと割ったのです。
よく知られているように、伊勢・桂鴨日光東照宮の対立の図式に落としこんで、日光が将軍的で、伊勢や桂が天皇の系譜につながると位置づけました。
やはり日光の方は、非常にゴテゴテしていて、バロック的な、装飾的な表現であるのにたいし、伊勢神宮や桂離宮は―実際に本物がそうであるかどうかは別にして―シンプルな造形美をもつとみなされました。
しかもモダニズムと接続しうる簡素な建築デザインとして高く評価されます。
一方、日光東照宮は、いかもの、すなわち俗悪なキッチュとみなされます。
こうして、日本の伝統建築を二つに分けたうえで、桂・伊勢を、西洋の古典主義の最高峰というべきパルチノン神殿と比肩する、すぐれた建築だと位置づけて、さらにそれを近代建築につなげるというアクロバティックな系譜を提示しました。
当時、東京帝室博物館(現東京国立博物館)本館や軍人会館(現九段会館)など、コンクリート造の躯体に瓦屋根をのせる帝冠様式を日本的なものとみなす風潮もあったので、日本のモダニストも大喜びの議論です。
建築家にして建築史学者の伊東忠太(一八六七〜一九五四)も、法隆寺のエンタシスという柱のふくらみが、パルチノン神殿にまでつながるという議論を提出していましたが、これは日本的なものを強調するというよりも、東西の文化交流という国際的な意味を与えるものでした。
それにモダニズムとの関係もない。
したがって、過去をふりかえりながら、現代にまでつながるタウトの議論は、とても便利なものでした。
ともあれ、タウトがどれくらい意図していたことかわからないけれど、どうしても政治的な含意があるわけです。
天皇と将軍という分け方のなかには、すぐれた建築と政治の体制が結びついている。
少なくとも江戸時代の将軍ではない、古代、あるいは明治以降の近代における天皇の時代に合致するわけです。
神社/直線、寺院/曲線僕が宗教建築を調べていておもしろいなと思うのは、だいたいこれと同時期の議論ですが、いま言った話を変奏したかたちで、仏教建築と神社建築の系譜においても、すごく明快に両者を分けようという言説が働くことです。
それは伊東忠太から始まって岸田日出刀(一八九九〜一九六六)ほか、当時の建築史家あるいは理論家が、繰り返し語るのですが、要するに神社建築というのは日本古来のもので簡素であっさりしていて、モダニズムとつながるような美しさをもっている。
で、それにたいして、仏教建築というのはそもそも日本のものではない、これは中国や朝鮮半島などの大陸からやってきた外来の宗教であり、そこから出てくる建築は、非常に曲線的で装飾が多い、という。
つまり、ちょうど二項対立になっており、神社の方は直線が主体になっている。
仏教建築というのは曲線を使うし、装飾も多くて、あまりよろしくないものだというあきらかな価値判断がなされます。
それが完全に宗教と結びついて、神道的なものをよしとする世論と、モダニズムにやはりつなげようという意思が働きます。
とくに岸田日出刀にはそれが顕著です。
彼はいささかファナティックなまでに、伊東が設計にかかわった、完成したばかりの朝鮮神宮や靖国神社を賞賛しています。
もちろん、厳密にみれば、伊勢神宮も曲がっている部分はあるし、装飾的なディテールはいくらでもあるし、それは同ドしように桂離宮でも複雑なデザインを指摘しうるのですが、こうしたイデオロギー的な伝統論は細かい差異を無視してしまう。
とくに神社と寺院に関していうと、デザインにおける神仏分離みたいなところがあって、その二つを明快に割ってしまう。
さらに、防火性の問題があったとしても、神社は木造のままであるべきとする一方で、寺院はコンクリート化が推奨される。
タウトの天皇的/将軍的、あるいは忠太・岸田による神社的/仏教的の両方は、ほぼ重なりあうのですが、これは戦前の社会情勢と深くつながっている。
両方とも天皇=神道的なものをモダニズムと接続させることでもちあげて、そのかわり外来のものを排除しようという、建築デザインにおけるナショナリズム的なものを作動させるべく、ふたつの概念を対比させる議論が出たと思われます。
さらに一九四〇年代、大東亜の建築様式がどうあるべきかという議論では、これまで大陸から輸入してきたが、これからは逆転して日本のものが世界に向けて進出する歴史的な転換点を迎えた、という意見も登場しました。
つまり、大陸的なものを排除し、純正な日本建築を回復するにとどまらず、それを大陸にまで広げていこうとする。
ちなみに、戦後の韓国では、興味深い伝統論争が起きています。
ある博物館の屋根が、日本の神社に似ているからよくないと批判されたのです。
これは日本的なものを意識する反動から、韓国的なものを探究するというベクトルに向かう。
ともあれ、中国でも帝冠様式風の建築はありますし、同じ木造建築の文化圏では、構造技術が完全に変わったモダニズム以降、どうしても伝統的なものをめぐって議論が発生するわけです。
縄文と弥生そう考えてみると、五〇年代に出てきた縄文的と弥生的というのは、それを変奏して繰り返しているけれど、同時にずらしている感じがします。
やはり戦後の議論なので、ある種、政治的、宗教的な対立にくくられないようになっています。
さすがに縄文や弥生になると、天皇や将軍を連想させない。
もう少し別のかたちで議論できる。
ただし、いまの流れでいうと、弥生的なものは、洗練されており、天皇=神道的なものにつながっているはずです―デザイン的な趣味でいうと。
縄文的なものは荒々しくて、たぶん将軍的、仏教的なものに、どちらかというと近い。
天皇か将軍かという、どちらの権力者ではなく、むしろ大衆的か貴族的かという階級の問題にシフトしています。
弥生の方は貴族的な系譜だとすれば、縄文の方は民衆的な系譜に対応するわけです。

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